自分の事

ryuta

2012年01月02日 07:44

ブログを初めて 今迄 一度だけは書こうと思ってはいたけれど

なんだか恥ずかしくて 書けずにいた 自分の事



どんな人にでも 中々解決出来ない問題や

抱えきれない不安や悲しみがあると思う

もちろん自分も、、、。



しかし 今や「偉人」と言われる人達の人生をひも解いてみると 

彼らはどうやって人生の中での「暗黒期」に立ち向かったのか?

数えきれないほどの失敗と挫折を繰り返して来たか

知れば知るほど ビックリする事だらけであった



「俺は絶対にあきらめないぜ!」という彼らの生き様を紹介






チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)




医師の道になじめずあきらめた時、彼の父親に「動物を捕まえることしか脳がない」と言われた。彼自身の自伝にはこう書かれている。「父親や師範からはごく平凡な子供と思われ、どちらかというと一般の知性レベルに達していないと思われていたようだった。」


進化論の方向性を確立し、生物学で重要な功績を残した自然科学者である。





トーマス・エジソン(Thomas Edison)




彼は小学校の教師に「学習する知能がなさすぎる」と言われ、仕事は2度「生産性がなさすぎる」と解雇され、電球の発明に1000度の失敗があった。後にインタビューで記者に「1000回失敗したという気持ちはどういうものですか」と尋ねられ、「1000度の失敗をしたわけではない、1000のステップを経て電球が発明されたのだ」と答えた。


発明王の異名を持つ発明家。





アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)




彼は4歳になるまで話すことができず、7歳まで文字が読めなかった。両親は彼の知能が低いと思い、先生の一人は彼のことをこう表現した。「精神的に遅れており、社会性はなく、いつまでもとりとめのない空想にふけっている」学校を退学になったあとチューリッヒの学校から入学を拒否されている。後になんとか読み書きができるようになった。


相対性理論を築きあげた理論物理学者。20世紀最大の天才と言われる。





チャールズ・シュルツ(Charles Schultz)




子供の頃から恥ずかしがりで一人で時間を過ごすことが多かった。高校のイヤーブックスタッフに描いて提出したマンガは全て却下された。


スヌーピーで知られる代表作「ピーナッツ」の漫画家






ヘンリー・フォード(Henry Ford)




自動車会社が成功するまでに7度の失敗、5度の破産をしている。


自動車会社フォード・モーターの創設者






ウォルト・ディズニー(Walt Disney)



ディズニーは新聞社で編集長から解雇を告げられ、その理由は「彼は想像力に欠け、よい発想は全くなかった」と言われた。ディズニーランドを建てる前に何度も破産し、テーマパークもアナハイム市から、どうでもいい連中しか寄せ付けないと、建設を拒否された。


アニメーション・漫画の巨匠






ベーブ・ルース(Babe Ruth)



子供のころは非行少年で両親もお手上げで、矯正学校に入れられた。ホームラン記録を作るまでは三振記録も持っていた。714本のホームラン記録に対して、1330回の三振をしている。


アメリカのメジャーリーグで、34年間ホームランの最高記録保持者であった。






チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin) 



父親はアル中で死去、母親は精神病にかかり、孤児院や貧民院を転々とする。ハリウッドは当初チャーリーのパントマイムをナンセンスだと酷評した。


「喜劇王」と異名を持つ、俳優であり、脚本家であり、そして映画監督である。






ルイーザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott)




家族から召使としての仕事を探すように言われていた。


「若草物語」を書いた小説家






エルビス・プレスリー(Elvis Presley)




当時はロックに対する偏見もあったことから、何度も中傷の対象になった。ラジオショーのパフォーマンスは、たった一度でクビにされ、「トラックの運転手に戻れ」と言われた。


最も成功したソロアーティストで「キング・オブ・ロックンロール」の称号を持つ歌手






彼らが歴史に刻んだ偉業は そう簡単にマネの出来るものでは絶対無いけど


あきらめない」根性や

地の底から立ち上がる」ガッツは

やはり見習いたい




自分の今迄を振り返ってみて、、、

(とは言っても 彼らが抱えた苦難とは比べ物にならないほど 大したものではないけど)



自分自身 乗り越えていかなければ ならない壁が 今もある




一番大きいのは


今も治らない「強迫性障害」である



私のその「強迫性障害」が目に見えるように

はっきりとし始めたのは 中学生の時からだった


色んな事が強烈に不安になり

その不安を取り除くために 何度も何度も同じ動作を繰り返し続けた

儀式みたいに何度も繰り返すことで、次第に不安が無くなり

次の行動に移る事が出きた



初めは人前でしなくてもよかった


でもすぐに学校の中でも

大勢の人前にいてもやらなければ

不安になり過ぎて どうにもならない状態に迄なってしまった



同時に どもるようにもなってしまった

どもると言っても、同じ言葉を繰り返すのではなく

僕の場合は 最初の言葉がどおしても出てこい症状で

言葉が発せず 体や、のどの筋肉が固まってしまって

どうにもならないのである



症状は中学3年の時がピークで

そのせいもあって 学校でひどくいじめられた



いじめに関しては 親に相談し

担任の先生にも助けてもらった



でも 症状の事に関しては

誰の目にも明らかだったけど

誰にも相談など出来なかった



当時の僕は思春期で そんなこと口に出して

人に相談できるほど素直ではなかったし

まず はずかしかった



自分で治そう、立ち上がろう と決心したのは20歳のときである



その時の僕は人生に絶望していた

強迫性障害の事を本で知って以来

すっかり落ち込んでしまっていたのだ



十代後半を過ぎても まだその症状がある場合は治りにくい事

今後いつ何時再発するか分からず

社会生活にも問題をきたす という事

真っ暗闇の未来に嫌気がさして すねていた



そんなある日 中学の時僕をこっぴどくいじめていた奴に出会った



着飾り、奇麗な女性と楽しそうにしていたのを覚えている


もの凄い怒りがわき上がったの同時に

自分の情けなさに 胸が苦しく締め付けられたのを忘れない



人生を変えたいと思った

このいつまでも続く暗闇から這い上がりたいと強く思い

自分の心を殺そうと思った



生きて行くには 自分は弱すぎる



歩き方を変え、話し方を変えた、環境を変えた

違う自分になるために 学び、色んな事に挑戦した



ついでに20キロだいのダイエットにも成功した

当時の僕は丸まるとしていて 80キロ前後あった体は

自分でも重く 効率的ではないように感じられた



時が経ち 私は33才になった



今 誰も私が強迫性障害である事に気づかない


難発で 時に最初の言葉が発せられない事にも気づかれない



異常に内向的な見た目や

話し方、歩き方、身振り

繰り返す動作をしていたとは みじんも感じさせない



誰の目にも私は普通の健常者である



長い時間と労力をかけ やっとでここ迄来た



しかしそれが はがれやすいメッキである事は

自分が一番分かっている。




一人で鏡の前に立つ時


何度も同じ動作を繰り返す自分が写っている


人に話しかけようとすると 体が突然石のように固まり

最初の言葉が出てこない事も時々ある



それは まだ続いていて 終わりが無い事を知らされる




振り返ると 私が今迄こうしてこれたのは

絵を描くことが好きだったからである


子供の頃に描いた絵を親に褒められたり

ちょっとした賞を貰えた事が 心の支えになっていたのは間違いない


絵を描く事以外で 褒められた事など一つも無かったし


学校の成績も美術以外は全て 1〜2だった

今思えば とんでもなく出来の悪い子だったに違いない



それでも 人は自分の人生において 

自分が主役であると感じれる瞬間が大切であると思う



何かちょっとした事で褒められるとかでもいいし


これって 自分は得意なのかな?

自分に向いているのかな?


という経験は 首の皮一枚の時に


自分自身を助けてくれる 「材料の一つ」になってくれる




そして 僕には絵がある

(まさか本当に画家として 作品を作れるとは思ってもいなかったけど、、、)


絵を描いている時は 苦しい時もあるけれど

完成した絵と対話する時間が たまらなく好きだ


自分で描いた絵が 自分に色々と教えてくれるのである



不思議だけど 何でこの絵を描いたのか

描いてしばらくした後

絵が 私に教えてくれる

絵の意味も

描いている時は 分かっているようで どうやらあんまり分かっていない。



私の作品は

私自身や、人の心の中にある 光りと闇を

自然と重ねて 描いている



人の心の奥深く 荒々しい感情や愛情、動物的本能、

強さや、弱さは自然の世界にくっきりと現れている


一本の草木や、土、水、様々な動物達の中にそれを観る事が出来る


また目には見えないような空気の中にもそれはある


それらは私にとって とても身近で 最も共感でき

自分の心を重ねやすい 存在である



そして 僕は自分が描いた「絵」と その「絵」に「何かを感じてくれた人達」

さらに「この先の未来への希望に」に救われている。



残りの人生には絶望しか残されていないと感じたり


先が見えず 向かう方向を完全に見失ってしまった時


先にあげた 先陣たちの人生を思えば 


「どんな暗闇にも 必ず出口が用意されてある」ことが分かる



彼らの乗り越えて来た苦難を思えば

自分の抱えてきた問題がいかにちっぽけで

あきらめるには まだまだ早すぎることが

僕にでもハッキリと理解出来る



人生の先輩達からは学ぶ事が山のようにある


「夢を叶える、また 自分が定めた目的地にたどり着くには 失敗に次ぐ失敗を繰り返す事」


「気持ちの持ち用や、考え方次第で人生は大きく変わる」


という事を 彼らは教えてくれている。



「弱さ」を「強さ」に

「不安」を「希望」に変えて


ありがとう 人生の先輩達


感謝

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